三島由紀夫は、日本の近代文学を代表する作家であり、その鋭い社会批判と美的な文体、そして激動の人生で知られています。
今回は、そんな三島由紀夫の過去の発言や著書から、彼の情熱的で深遠な思索を反映した名言・格言をいくつかご紹介します。
三島由紀夫の名言23選
- 「そもそも男の人生にとって大きな悲劇は、女性というものを誤解することである。」三島由紀夫
- 「現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である。」三島由紀夫
- 「鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血の流れたときは、悲劇は終わってしまったあとなのである。」三島由紀夫
- 「傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を身につけるものだ。そして往々この鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう。」三島由紀夫
- 「人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る。」三島由紀夫
- 「男が金をほしがるのはつまり女が金をほしがるからだといふのは真理だな。」三島由紀夫
- 「男性は本質を愛し、女性は習慣を愛する。」三島由紀夫
- 「感傷といふものが女性的な特質のやうに考へられてゐるのは明らかに誤解である。感傷的といふことは男性的といふことなのだ。」三島由紀夫
- 「青年の苦悩は、隠されるときもつとも美しい。」三島由紀夫
- 「この日本刀で人を斬れる時代が、早くやつて来ないかなあ。」三島由紀夫
- 「もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけ。」三島由紀夫
- 「人間、正道を歩むのは却つて不安なものだ。」三島由紀夫
- 「女を抱くとき、われわれは大抵、顔か乳房か局部か太腿かをバラバラに抱いてゐるのだ。それを総括する「肉体」といふ観念の下(もと)に。」三島由紀夫
- 「戦争が道徳を失はせたといふのは嘘だ。道徳はいつどこにでもころがつてゐる。しかし運動をするものに運動神経が必要とされるやうに、道徳的な神経がなくては道徳はつかまらない。戦争が失はせたのは道徳的神経だ。この神経なしには人は道徳的な行為をすることができぬ。従つてまた真の意味の不徳に到達することもできぬ筈だつた。」三島由紀夫
- 「幸福がつかのまだという哲学は、不幸な人間も幸福な人間もどちらも好い気持にさせる力を持っている。」三島由紀夫
- 「なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。子供なら、何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。」三島由紀夫
- 「軽蔑とは、女の男に対する永遠の批評である。」三島由紀夫
- 「この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びをみることだ。」三島由紀夫
- 「何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。」三島由紀夫
- 「人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、生きるに値ひしないといふことを考へないでゐることは、多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。」三島由紀夫
- 「忘却の早さと、何事も重大視しない情感の浅さこそ人間の最初の老いの兆しだ。」三島由紀夫
- 「男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。」三島由紀夫
- 「幸福がつかのまだという哲学は、不幸な人間も幸福な人間もどちらも好い気持にさせる力を持っている。」三島由紀夫
三島由紀夫のプロフィール
三島由紀夫のプロフィールを以下の表にまとめました。
項目 | 情報 |
---|---|
名前 | 三島由紀夫(みしま ゆきお) |
生年月日 | 1925年1月14日 |
出身地 | 東京都 |
職業 | 小説家・劇作家・詩人 |
三島由紀夫の名言についてまとめ
今回は三島由紀夫の名言・格言を紹介してきました。彼の言葉は、時に鋭く、時に繊細な感性を映し出し、私たちの内面に深く響くものがありますね。
例えば、「この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びをみることだ。」という言葉。これは、人間関係の中での真の喜びの源を照らし出しています。他人の幸せを自分のことのように喜べる心の豊かさを感じさせてくれる言葉です。
三島由紀夫の名言は、読む人それぞれの心に異なる響きを持ち、自己反省や新たな視点を与えてくれます。彼の言葉が、皆さんの日常に新しい気づきや深い思索のきっかけを提供できたら嬉しいです。三島由紀夫の言葉には、人生の深い真理や、時には心の慰めとなるような温かさがあり、読む度に新しい発見や感動があるかもしれませんね。